無銘図書館

人形と人形師・第六話

第六話『人形の異変と人形師の決意』   「そうは言っても、私とて仔細を知っているわけではないのだよ。私が知っていることといえば、かつて魔女があの神社に住んでいたらしいということと、その子孫が今もあそこを管理しているらしいということだけなのだ」  新しく注がれた茶は、出涸らしなのか先ほどよりも味が薄かった。  おじさんにしては随分と曖昧な物言いだ。こうも”らしい”を連呼するということは…… 「オカルト連中には有名な話とは言ったが、その反面、誰一人とてその実態を知らないというのが実情だ。私を含めてな。魔女が存在したというが、ではその物的証拠は? 何か書物でも残っていたのか? 少なくともそのようなもの、私は寡聞にして見たことがない」  つまりは確たる理由もなしに私は見知らぬ人物を魔女呼ばわりしたのだと、おじさんは自嘲気味に笑ってみせた。まるでかつて、セイラムを震撼させた魔女裁判のように、と。   ***    果たしてそれが本当にセイラムの魔女裁判と同義かどうか、僕としてははっきり否を突きつけたい。おそらくおじさんは、魔女という単語と分かりやすい悪例として名前を挙げただけなのだろうし、それについて僕が意固地になることなどないのだが。  どのみち、結局何一つまともな成果を得られなかったことに違いはない。手に入ったものといえば思ってもみなかった故郷の昔話と再会への期待が少々といったところで、後者については結局、叶うことはなかった。  斜陽が目に飛び込んできて、トンネルを抜けたのだと気づく。その橙の光が忌々しく思えて、周囲に構わず僕はブラインドを下ろした。まあ、車内に僕以外の人間がいるのかといわれると、少なくともこの車両に関しては僕の貸し切り状態ではあるのだが。  帰りしなに件の神社へも立ち寄った。そこにいたのはアルバイトであろう巫女ばかりで、魔女を自称する赤毛の女性は見当たらなかった。もしかすると奥に引っ込んでいるのかとも思ったが、それを誰かに尋ねることは憚られ、そのままきびすを返してしまったのである。  丸一日を費やしてこのざまでは笑い話にもなりはしないが、別段このことについて悲観する気も悲嘆に暮れるつもりもない。そもそもこれまで費やしてきた月日に比べれば一日程度はなんてことはないのだから。第一、本来の目的は彼女の治療――といっていいのかはともかくとして――なのだから、魔女に会えなかったからと落ち込む必要など一切ないのだ。そう考えると、魔女の話に少々食いつきすぎたと今更ながらに反省を覚える。  だんだん言い訳がましくなっていたなと、しばし瞑目し呼吸を整える。確かに落ち込んではいない。落ち込んではいないが、魔女が何かしら手がかりを持っているのではないかと思っているのは今も変わらない。だから、会えなかったことに対して残念がっているのは事実だ。それを落ち込んでいると表するのならそうなのかも知れないし、実際、別にどちらでもよかった。  ――情けないな。どう足掻いてもやはり言い訳にしか聞こえない。一体僕は、腹の中で誰に弁を振るっているというのか。あまりにも莫迦莫迦しくなって、嘆息一つ、僕は目を開けた。  すでに故郷は遥か後方。下ろしたブラインドの隙間から入り込む陽には徐々に闇色が混じり始めていた。   ***    まだ秋になってそれほど経っていないというのに、夜はもうその先の季節に片足を突っ込んでいるようだ。妙に底冷えする空気に身を縮ませるように自分の部屋へと身を滑らせた僕は、はてと何かしらの違和感を覚えた。  疑問に思ったのは一瞬。答えにはすぐにたどり着いた。何のことはない、部屋が暗かったのだ。  ……何のことはない? そんなわけがあるものか。たちどころに跳ね上がった心拍に突き動かされ、靴を脱ぎ散らかして部屋になだれ込んだ僕は、電気をつけるのもあとにして奥の寝室の扉を開け放った。 「あ……おかえりー」  その言葉が、その声が、僕にどれほどの安心をもたらしたのか、きっと彼女は知る由もない。常ならざる勢いで現れた僕に、彼女はあまりにも普段通りに、間延び気味にそう応じた。 「どうしたの? なんだか急いでたみたいだけど」  闇の中、ベッドに座ったまま小首をかしげる彼女の影は、本当に普段と変わらない。まるでいつも、僕が帰るまで部屋の電気を全部消したままでいるかのように。 「いや、電気が消えてたからどこか出かけたのかと思って」  一人では出かけないようにとは前から言っているし、これまで彼女がそれを破ったことはない。だから、その言葉はどう聞いても誤魔化しているようにしか聞こえなかった。 「出かけないよ、約束だもの。それとも、旅館でのことまだ根に持ってる?」  彼女がそれに気づいた様子はない。僕は小さく息をついて、その言葉に乗っかることにした。  余計に話を広げて、下手を打ってしまわないように。 「まあ、君が簡単に僕との約束を破る可能性があると認識する程度には、根に持ってるかな」  本当はそんなこと思っていない。確かにあの瞬間には呆れこそしたものの、だからといって彼女を疑ったことなどない。だって、彼女が僕の想定を裏切る行動を取るときは―― 「流石の私だって、独りのときに無茶はしないよ」  そう、そういうときには決まって僕が近くにいるときだ。  あの旅館、といっていいのかはいまだに疑問ではあるが、とにかくあそこで彼女が身体をばらばらにしたときだって、一番近くにいたのは僕だった。それ以外のときにしても、その瞬間に居合わせることはないとしても僕がすぐに駆けつけられる場所にいるときばかり。というか、ここと、あとは故郷にある彼女の実家以外で彼女の身体が分離したことは、実は今まで一度もなかった。つまりはあの旅館が唯一の例外というわけだ。ここから先は憶測だが、おそらく僕が修理用の道具や換えの部品を持っていたことも、薄々分かっていたのではないだろうか。 「ならいいけどさ」  それを僕への甘えというのならそうなのだろう。だが、僕としては信頼と名をつけたい。  とにかくこの話はここまで。いつまでも暗い中で話すというのもそろそろ陰鬱な気分になってきたと、壁に取り付けられた明かりのスイッチを押した。 「――え」  声が漏れたことに気づいたのは、果たしてどれくらい後のことだったろうか。少なくともその瞬間には、間違いなく音としてすら認識していなかった。  人は他の感覚よりも視覚情報に重きを置いているという。おそらくその瞬間の僕の身体は、その目に飛び込んできた情報に全ての感覚を麻痺させられていたのだ。  僕の視力がよかったことも災いしたのだと思う。彼女の修理は勿論のこと、仕事の都合で手元を見続けることが多い僕だが、それらは僕の目に恒常的な影響を与えていない。特に今日は、仕事も、彼女の身体に関わる作業もしていないわけで――彼女の目が、一切僕のほうを向いていないことに、すぐさま気づいてしまった。  それだけなら、本当にただそれだけのことならどれほどよかっただろうか。ただ何か気になることがあって、そちらに視線が釘付けになっているだとか、たまたま視線を僕から外したタイミングだっただとかなら、僕は気にも留めなかった。あるいは、もっと根本的に、彼女が普通の身体であったならば……彼女の目が、水晶でできてさえいなければ。こんな姿を見ることはなかった。  こんな、ぽっかりと空いた眼窩のように真っ黒に染まりきった、彼女の目を。   * * *   「……どう?」  新しく取り付けられた水晶の目の具合を確かめるように何度か瞬きをした彼女は、ゆっくりと僕のほうに目を合わせて小さく微笑んだ。 「うん。よく見える。ありがとう」  その言葉に、ようやく僕は胸をなで下ろした。  あれからすぐに道具と真新しい水晶の義眼を取り出した僕は、彼女に状況を説明するや否や彼女の修理に取りかかった。まるで炭化してしまったかのような有様の目は、取り外そうと軽く触れただけで崩れ落ちてしまい、それを一片も残さぬように拭い去って新しい目を取り付ける。たったそれだけの作業ではあったが、動揺故か手先が震え続け、気づけば日付が切り替わってしまった。  あんな状態だったのだから当然のことと思うが、やはり彼女には何も見えていなかったようだ。目を開けているはずなのに目の前は真っ暗で、助けを請おうにも肝心の僕は不在。ベッドの上で途方に暮れていたら、いつの間にか夜になっていたらしい。  勿論、夜の帳が降ろされたことすらもそのときの彼女には知る由もなかったのだろうけど。  一体何をどうしたら、水晶が一日足らずであんな状態になってしまうのか。昨日、二人して寝床に付くまではどこもおかしなところはなかったはずだ。強いて挙げようにも本当に何の異常も思い当たらない。いつも通り彼女が寝付くのを静かに待って、彼女を起こしてしまわないように少しだけ仕事をこなした後僕も眠りに入る。その日常に異物が入り込んだ痕跡もなければ余地もない。あるとすれば、翌朝に僕が故郷に向かったということだけだ。 「何か心当たりある? こうなったことに」  僕のほうでは思い当たる節がなさ過ぎる。けれど原因を特定できなければ対処のしようもない。また同じことが起きないとも限らないし、対策できるのならそうするに越したことはないというのに。勿論、再びこんなことが起きたとしても僕が取り替えればいい話だし、そのことを億劫には微塵にも思っていないのだが。 「ううん、今回は本当に何も」  まあそれもそうか。状況から考えて何かあったとしたら昨日の就寝前だが、それならば僕が気づいているだろう。  では何が発端だ。どうして彼女の目はあんなことになった。思考が堂々巡りを始めないようあらゆる可能性を思い浮かべる。たとえそれがどんなに莫迦げたものであっても、精査を繰り返して最後に残ったものがそれならばそれが真実である。そこに辿り着くためには、まずその莫迦げた可能性を把握する必要があった。  一つ。実は劣化が徐々に進んでいて、それが今日、気温や湿度などの条件で急激に進んでしまった。  正直これはないだろう。もし水晶にそれだけの急激な変化を与える環境だったとしたら、他の部分に一切の損傷が見られないのは不自然だ。とはいえ水晶の構造について僕は全てを知っているわけではないので、完全にないとまでは言い切れないのだが。この辺りは調べる必要がある。  一つ。はまっていた水晶は実は水晶ではなく、一定の期間を過ぎると急速に変化する物質だった。  こちらに関してははっきりと否と言える。なぜなら、僕は以前彼女の目を取りだしたことがあるからだ。こういうと何とも猟奇的な響きに聞こえて仕方がないが、いざというときに備え、複製をあつらえるために調べさせてもらったのだ。だからこそ、今回すぐに新しいものを彼女に用意することができた。今彼女の目にはまっているのは、素材も大きさも何もかも、元々そこにあったものと同一のものである。  一つ。僕の留守中に何者かが部屋に侵入し、彼女の目に細工をした。  少しばかり部屋を見回す。一見してそういう痕跡はないし、第一、それならば彼女が気づかなかったということはないだろう。  ――では、その派生。何かしらの遠距離手段でもって、部屋に踏みいることなく、かつ彼女に気づかれることもなく、目だけに影響を与える方法を用いた。  なるほど、これは大概莫迦らしい。だけど逆をいえば、その方法を見つけ出すことができれば、それはもう答えといっていいのではないだろうか。だけど果たしてそんな手段があるのだろうか。そんな、まるで魔術のような……魔術?  僕は基本的にオカルトについては否定派である。正確には消極的否定といったところだがそれはともかくとして。勿論自分が体験したことについてはその限りではない。そして、目の前の彼女の現状はそのオカルトに分類してしかるべき状況だ。それこそ、魔術か何かでも使わない限りこんな事態には陥らないだろう。  つまり、巨視的にいって、僕は魔術の存在を直に見ている。そして、魔術という言葉に結びつくであろう存在を、僕はもう一人知っていた。 「……ごめんね、面倒ばかりかけて」  突然そんなことを言い出した彼女に、宙に向けていた目を向ける。眉を下げて今にも泣き出しそうなその表情は、今まで見てきたどの顔よりも辛そうに見えた。  これまでどれだけの苦労を重ねてもそんな風に顔を歪ませることがなかった彼女。その唐突な顔に僕は内心の焦りを覚えた。 「どうしたのさ、急に」  それでもそのことを表に出してしまわぬよう気を張って答えると、彼女はその顔のままこう答えた。 「だって、すごく難しい顔してたから。そんな顔、今まで見たことなかったもの」  ――ああ、しまった。彼女に問うだけ問うておいて、僕のほうはそれに何の反応も示していなかった。それに加えて僕なりに思考を全力で巡らせていたものだから、どうやらそのせいで僕のほうも顔つきが常ならざるものになってしまったようだ。 「やっぱり、嫌だよね。こんな私と同居なんて」  加えてそんなことまで言い始めたのは、それだけ僕の様子が不穏だったのだろう。  これは間違いなく失態だ。一息ついたとはいえ、どうやら動揺の余波はまだ僕の中で渦巻いていて、それがとんでもない方向に被害を与えたらしい。それに気づかず放置して、それが失態以外の何だというのか。 「面倒だなんて思ってないし、同居が嫌だなんてもっと思ってない」  それを挽回する機会があるとすれば今このときを置いて他にない。僕は彼女に手を伸ばし、その頬をゆっくりと撫でた。  表情は豊かだというのに粘土仕立ての硬い質感。指先から伝わる温度は冷たく、人のそれとは明らかに違う。そんなことは今更確かめるまでもない。そして、それを再確認したところで、僕が彼女に向けている感情が変化することがないことも、また確かめる必要のないことだ。  彼女は人間であり、決して人形などではない。そして、僕は、他の誰よりも、ものよりも、 「僕にとっての一番は君だ。君がどれだけ嫌がってもそこは譲れないし変わらない」  未来永劫とまでは流石にいわない。だが、今この瞬間においては、それが僕の本心だ。我ながら中々ストーカーじみているようにも思えるが、実際そうなのだからどうしようもない。  もういい加減、そんなことくらい彼女にだって分かっていてもらいたいものなのだが。 「……ありがとう」  ようやく華やいだ彼女の表情を見て、僕はようやく、本当に胸をなで下ろすことができた。鏡を見れば僕の口元も綻んでいることが確かめられるだろう。残念ながらここには鏡はないけれども、僕は間違いなく、彼女の笑顔を見て笑い返していていた。   * * *    彼女を寝かせた後、風呂で身体を流してからいつも使っている仕事机に向かう。背中に彼女の寝息を聞きながら用紙を広げペンを握ってみたものの、インクが紙の上を走ることはなく、いつまで経っても真っ白なまま。それは僕の頭の中をそのまま投影したかのようで……いや、本当はそんなことはない。ただ、最初は気にもならなかったシミが自分でも気づかない内に広がり続けて、他の思考に割けるような余白がなくなってしまっただけだ。  残された時間はあとわずか。朝も感じたその焦燥がもし本当にそうだとしたら。あの出来事がもしその明確な予兆だとしたら。  小さく、ごく小さくため息をつく。やはり多少の無礼は無視してあの魔女に会うべきだったのでは。勿論あの神社にあの魔女がいるとはっきりと決まったわけではないのだが、それでも確かめるくらいはするべきだった。今一番不安なのは間違いなく彼女で、その不安を少しでも取り除けるのは僕だけだというのに、無礼も何もあるものか。  ――よし。明日、あの神社に行こう。今度は彼女も連れだって。もしいないのであればそれはそれで仕方ないし、もしいたとしたら……今度は、しっかりと答えてもらおう。あの魔女が何を知っていて、何ができるのかを。